大阪高等裁判所 昭和35年(う)1507号 判決 1961年6月13日
控訴人 被告人 平浩二郎
検察官 山根正
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴趣意は記録にある弁護人岩橋清作成の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。
論旨は、公務執行妨害罪が成立するには、適法な公務の執行があることを要する。原判示第二の副看守長山本武の被告人に対する革手錠使用は、監獄法施行規則第四九条に反し、典獄の命令に基いたものではなく、適法な公務の執行とはいえない。しかるに原判決が判示第二について公務執行妨害罪の成立を認めたのは、法令の解釈適用を誤つたものであるというのである。
原判決挙示の証拠によると、被告人は加古川刑務所において受刑中、昭和三五年七月七日午後五時五分ごろ、作業を終えて検身室を出る際、裸のまま食器を頭上に乗せているのを、検身立会中の看守本岡重雄が呼び止めて注意したところ、同人に対し手を振り上げてつめより又勝負してやるなどと言つて同人を脅迫し、右事実取調べのため副看守長山本武らによつて保安課事務所に連れて行かれると昂奮し、同所調べ室において山本武に対し「何でこんなところへ連れて来るか」と大声を発し、暴行を加えかねない態度をしたので、同人は保安課長小川原長太郎の許可を得て、同日午後五時一五分ごろ、被告人に革手錠をかけようとしたところ、被告人は立腹して山本武の顔面を強打し、同人に対し治療約一〇日を要する判示傷害を与えたこと、右革手錠使用については、右刑務所長又はこれに代るべき上級職員の事前の命令を受けておらず、緊急のためこれを受くべき時間的余裕がなかつたことが明らかである。
公務執行妨害罪の成立するためには、適法な職務の執行を前提とすることはいうまでもない。ところで受刑者が逃走、暴行若しくは自殺の虞があるとき、又は監外に在るときは、看守はその受刑者に対し戒具を使用することができることは、監獄法第一九条に定められており、その使用については、典獄(刑務所長はこれに当る)の命令がなければならないことは、同法施行規則第四九条の明文の示すところである。同条の趣旨は、戒具の使用が人身の自由を拘束する重大なことに属するから慎重を期し、濫用を防止する刑務所長の指揮監督のもとにこれをすべきこととしたにほかならない。しかし戒具使用必要の事態の発生は突発的で、刑務所長の命令を受けるいとまがないことがあり得べく、かような場合看守において適宜戒具を使用し、直ちにこれを刑務所長に報告してその許否を仰ぎ、許可があればその命令に基いたものと解すべく、かように解しても右規則の趣旨を逸脱することはないというべきである。ところで所長が不在その他の事故のため、その命令を受けることができないときは、昭和二四年六月一日法務府令第四号(昭和二七年八月一日法務省令第七号により改正)「刑務所少年刑務所及び拘置所組織規定」第六条第三項により、総務部長において所長に代理してその権限を行使すべきこととなつているが、一般に行政官庁すなわち行政機関の長(本件においては加古川刑務所長がこれに該当する)は、特別の定めがない限り、法律上定められた自己の権限に属する一定の事項についてその権限を、法令の明文の規定ある場合のほか、自己に事故があるときに臨機に、その補助機関たる上級の職員に代理行使することを、あらかじめ明示的に又は暗黙のうちに委任することができ、後者の場合においては、一定の慣例に従つて代理行使することを黙認することを通例とすべく、いずれの場合においても指揮監督の責任は行政官庁に留保されていると解するのを相当とする。原判決引用の小川原長太郎の検察官に対する供述調書及び当審における証拠調の結果によると、右加古川刑務所長は、昭和三五年七月五日から同月一一日まで東京へ出張し、本件発生の同月七日当日、保安課長小川原長太郎は、本件革手錠が使用された後、右使用について管理部長角尾他喜夫に対し右事実を報告しその裁決を受けたこと、右刑務所においては、国内の他の刑務所と同様に戒具使用許否の職務を管理部長に包括的に委任しておき、同部長において許否を決定し、事後に所長に報告することを慣例としており、本件においてもその例にならつて管理部長角尾他喜夫が代決し、同月一五日所長にこれを報告し、所長は被告人を軽屏禁二月に処する等の懲罰を科することを命じていることが認められ、この点からみて、本件革手錠使用は右規則第四九条に反したものではなく、副看守長山本武の適法な職務執行によるものであるということができる。原判決が判示第二の被告人の行為について傷害罪のほか公務執行妨害罪が成立するとしたのは正当であり、その法令の適用に誤りはなく、論旨は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条、第一八一条第一項但書に従つて主文のとおり判決をする。
(裁判長裁判官 松村寿伝夫 裁判官 小川武夫 裁判官 柳田俊雄)